2026年10月21日
少ないカルシウムを効率よく利用するしくみとは?─計算モデルで解き明かしたイオンチャネルの進化における謎
1980年代初め、科学者たちは興味深い現象を発見しました。細胞膜に存在するイオンチャネルの中に、極めて高いコンダクタンス(イオンの通りやすさ)を示すものが見つかったのです。この「大コンダクタンスカルシウム活性化カリウム(BK)チャネル」は、単一チャネル分子あたりのコンダクタンスが他のカリウムチャネルの約10倍もあり、カリウムイオンを非常に効率よく迅速に輸送することができます。その後の構造解析によってBKチャネルが高いコンダクタンスを実現できる仕組みが明らかにされていった一方で、なぜBKチャネルが進化の過程でこのような機能を獲得するに至ったのかという疑問については長らく謎のままでした。
このたび沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームは、学術誌『Communications Biology』に発表した研究で、この強力なカリウムイオンチャネルの進化の起源の謎に光を当てました。分子シミュレーションと進化モデルを組み合わせ、さまざまな生物種におけるニューロンのBKチャネルのコンダクタンスを比較した結果、BKチャネルがニューロンの発火タイミングに与える影響が明らかになりました。研究者たちは、この影響こそがBKチャネルの進化における有力な選択圧となったとの可能性を示しました。
本研究の著者であり、OIST計算脳科学ユニットを率いるエリック・デシュッター教授は次のように述べています。「BKチャネルはさまざまなニューロンに広く存在し、ニューロン同士の情報伝達を支える電気信号、すなわちスパイク発火を調節する上で不可欠な役割を果たしています。しかし、その重要性にもかかわらず、進化の過程においてなぜこれほどまでに高いコンダクタンスを持つチャネルが進化してきたのかについては分かっていませんでした。私たちの研究は、この長年の謎に対する一つの答えを提示するものです。」
BKチャネルの重要性
文章を読むという単純な作業でさえ、脳内では非常に複雑な神経ネットワークが働いています。脳のさまざまな領域やニューロンが情報の保存や処理を分担しており、その全体が細胞間の精密な情報伝達によって支えられています。
この情報伝達を調整しているのが電気信号であり、神経伝達物質の放出を引き起こします。電気信号は、細胞膜を挟んだ電荷の変化によって生じますが、その変化は正電荷を持つイオンがそれ専用のイオンチャネルを通過することで起こります。
数多くのイオンチャネルの中でも、BKチャネルは特に神経科学者の注目を集めています。その理由は、チャネルをイオンがどれだけ通りやすいかを示す「コンダクタンス」が非常に高いからです。BKチャネルは動物界全体を通じて、他のカリウムチャネルよりもはるかに高い単一チャネルコンダクタンスを示し、その値は10〜20倍に達することもあります。
「しかし、チャネルのコンダクタンスは生物種によって一様ではありません」とデシュッター教授は説明します。「哺乳類や鳥類では無脊椎動物と比べはるかに高い値を示します。なぜなのか、私たちはその理由を知りたいと思いました。」
研究チームはこの違いの源を突き止めるべく、OIST進化ゲノミクスユニットのトマ・ブーギニョン教授とサイモン・ヘレマンス博士に協力を仰ぎました。ゲノムデータと既存研究の結果を用いて生物種ごとのBKチャネルとコンダクタンスを比較したところ、明確な傾向が見えてきました。進化系統樹上で哺乳類に近い生物ほど、BKチャネルのコンダクタンスが高くなる傾向があったのです。
STEPSを用いて進化の仕組みに挑む〜数歩先へ〜
研究チームは次に、「STEPS」と呼ばれる分子シミュレーションプログラムを用いて個々のイオンチャネルをモデル化しました。
「BKチャネルはカルシウムによって活性化されるチャネルで、完全に開くには4個のカルシウムイオンと結合する必要があります」とデシュッター教授は説明します。「STEPSを用いることで、カルシウム濃度も考慮しながら、さまざまなコンダクタンスを持つBKチャネルをシミュレーションできました。」
その結果、BKチャネルの活性化において、カルシウムの除去が重要な制約因子であることが示されました。単一チャネルコンダクタンスが低い種では、同じレベルの全コンダクタンス率を実現するために、より多くのBKチャネルを活性化する必要があります。しかしチャネルの活性化にはカルシウムが必要です。カルシウムイオンが各チャネルに結合すると、利用可能な遊離カルシウム量が減少し、チャネル同士がカルシウムを奪い合う競合状態が生じます。一方、哺乳類や鳥類に見られるような高コンダクタンスのBKチャネルでは、このような競合は問題になりません。
研究チームはさらに別のモデルを用いて、コンダクタンスがスパイクタイミングに与える影響を調べました。スパイクタイミングとは、ニューロンが電気信号(スパイク)を発生する正確なタイミングを指します。このタイミングは、運動制御や記憶保持、感覚情報処理など、多くの高度な脳機能にとって不可欠です。解析の結果、BKチャネルの単一チャネルコンダクタンスが低い場合、スパイクタイミングのばらつきが大きくなることが分かりました。
「哺乳類で見られるBKチャネルの高コンダクタンス化への進化には、スパイクタイミングの精度向上が重要な選択圧として働いたのではないかと考えています」とデシュッター教授は述べています。「動物がより複雑な運動機能を獲得していく過程において、1ミリ秒未満の精度でのスパイク制御が多様な課題をこなすうえで重要になったのでしょう。」
全ての計算モデルがそうであるように、本研究にも制約はあります。今回のモデルは細胞を単純化した理論モデルであり、対象もプルキンエ細胞という1種類のニューロンに限られています。しかしながら、研究チームは、この研究成果が今後のさらなる検証研究のきっかけになることを願っています。
「BKチャネルはさまざまな細胞に広く存在し、筋収縮などにも関わっています」とデシュッター教授は語ります。「この研究が神経科学者だけでなく、細胞生物学者や進化生物学者にとっても有用な知見となれば幸いです。」
論文情報
専門分野
研究ユニット
報道関係のお問い合わせ