尾身幸次

尾身幸次

Koji Omi giving speech

尾身幸次

沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、OISTの設立を構想した尾身幸次氏のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。尾身氏は、去る4月14日に89歳でお亡くなりになりました。

2001年、内閣府特命担当大臣(沖縄・北方対策、科学技術政策担当)として入閣した尾身氏は、それまでの政治家としての経験を活かし、沖縄を将来にわたって発展させていくための施策と、科学技術の力で日本を創りなおす、というアイデアを掛け合わせることを思いつきました。

長期的な視点で意義のある変化を起こす必要があると考え、「将来の沖縄県民の生活水準を向上させるためには、道路や空港をつくるだけではなく、科学技術によって沖縄に近代的な産業を興すことが重要だと考えました。そして、沖縄に科学技術大学院大学を設立することを思いついたのです」と述べています。

尾身氏は、世界中の一流大学を訪れて成功の秘訣を学び、著名な科学者と会って意見を聞きました。そんな中で、世界最高水準の大学をゼロから作ろう、そのためには、英語を共通語にする国際的な大学とする必要があること、専門分野の領域を超える学際的な研究をすることが望ましいという方向性が決まりましました。

この構想を実現するため、尾身氏は、根気強く周囲を説いて回りました。そして2001年6月、沖縄県に国際的な大学院大学を設立することが正式に発表され、2005年には沖縄科学技術研究基盤整備機構が設立されました。OISTが大学として認可を受ける前の前身機関です。

2011年にOISTが大学院大学として設立された後、尾身氏は2014年から2021年まで理事としてOISTの発展を支えました。そうした功績をたたえ、OISTは、2018年に初めて行われた学位記授与式(卒業式)で、OIST初の名誉博士号を授与しました。

先見性と行動力、周りを巻き込むリーダーシップ力を発揮され、OISTの設立を導き支えた尾身氏は、こう述べています。「OISTの存在は、5年、10年というスパンではなく、百年、二百年後の沖縄のために必ず大きな貢献をして、沖縄という地域を新しい発展に導く原動力になることは間違いないと確信しています。」

OIST学長ピーター・グルース博士は、「昨年10周年を迎えたOISTが、世界の著名研究機関と肩を並べるまでに成長したのは、ひとえに尾身幸次氏の先見性とリーダーシップの賜物です。この悲しい知らせに接し、これまでの尾身氏の功績に改めて感謝し、OIST全員が今こそ一つとなって尾身氏の目指された偉大な構想を引き継ぎ、沖縄の自立的経済発展のために尽力する覚悟です」と述べています。

参考資料:

尾身幸次「天風哲学実践記」 PHP研究所、OISTが実施したインタビュー

Koji Omi portrait

尾身幸次氏への追悼の言葉

トーステン・ヴィーゼル理事会前議長

私は、沖縄科学技術大学院大学理事会の前議長のトーステン・ヴィーゼルと申します。サンフランシスコより、尾身幸次氏のご遺族の皆様にお悔やみを申し上げますとともに、偉大なる故人を偲んで、追悼の言葉を述べさせていただきたいと思います。

私は、OIST設立プロジェクトの初期に運営委員会共同議長に就任しました。そのため、理事を務めていらした尾身幸次氏と長年にわたり交流があり、共に働く素晴らしい機会を授かりました。OISTプロジェクトは今から20年ほど前に始まりました。尾身氏は、当初より豊かな発想に満ち溢れていたのみならず、大胆不敵かつ実践的であり、さらに優れた運営手腕をお持ちであることが明白でした。沖縄の地に「世界最高水準の国際研究大学」を創設するという壮大な構想の実現に向けて、立ちはだかるいかなる障害も跳ね除けようとする確固とした覚悟を常にお持ちでした。

当時の沖縄は、必要なインフラが整備されておらず、さらに競争の激しい国際的な研究コミュニティから遠隔となることもあり、候補地とすることに疑問の声も上がりました。しかし、優れた交渉術をお持ちであった尾身氏は、国際的に著名な科学者たちを招いてOIST設立プロジェクトへの参加を呼びかけ、最初の会合で多くの出席者を説得することに成功されました。そのメンバーが、OISTの知的・科学的基盤を形成し、後に大学の理事会となりました。

OISTの真の原点は、自然科学の幅広い分野における国際的な研究大学を日本に創設することでした。大学設立後は、その次のステップとして、大学を確実に成長に導くために世界中の一流教授陣を確保し、優秀な大学院生を選抜する必要がありました。設立以来、順調に発展してきたOISTの記録は、今春開催される10周年記念式典にて紹介されます。

OISTというプロジェクトの輝かしい成功は、尾身氏が政府内の人脈を通じて政治的・財政的支援を得るために奔走し続けてくださったからこそ実現したことを、私たちは忘れてはいけません。共にOIST創設の冒険に挑戦してきた私たちの多くは、その成功に感無量であると同時に、さまざまなことを実現してきた尾身氏が果たした重要な役割に深い感銘を受けています。詩的な言葉を用いますと、尾身氏は未来に光と希望を与えてくださいました。

これに並んで、尾身氏が尽力したもう一つの重要な取組み「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(STSフォーラム)」の創設にも触れさせていただきたいと思います。尾身氏は、ここでもその独創性と並外れたエネルギーを発揮されました。尾身氏の強力なリーダーシップなき後も、引き続き政官界や教育機関、科学界のリーダーが同フォーラムに集い、グローバルな視点で気候、健康、科学、教育などの重要な問題を議論していく事を願います。尾身氏は、教育、科学、行政の分野に強い情熱を持った、非常に稀有な存在でした。そしてOISTが進むべき道を私たちに示してくださいました。これからは、私たちの一人ひとりが、持続可能なより良い世界を創造するために自らが果たすべき役割を考えるべきときにあります。

最後に、沖縄科学技術大学院大学の創設者の一人として尾身氏を称えることを理事会に提案したいと思います。

Torsten Wiesel and Koji Omi in 2008
2008年7月に行われた第6回運営委員会にて

ジェローム・フリードマン前運営・設立委員

私が尾身幸次氏に初めてお会いしたきっかけは、非常に珍しいものでした。ある日の午後、オフィスで腰かけていると、かつての博士課程学生のGPイエ博士から電話が入りました。彼は、日本の科学技術政策担当大臣がアメリカのさまざまな研究大学の運営体制について学ぶため、各大学を視察されており、翌日マサチューセッツ工科大学(MIT)を訪問される予定であると私に説明しました。そして、連絡ミスがあり学長もプロボストも不在であるため、私に何とかして欲しいというのです。そこで私はすぐに理学部長に連絡し、数名の学部長たちにどのような学部運営を行っているかを簡単に説明してもらうよう依頼しました。翌日、理学部長と私で尾身氏をお迎えし、各学部長が非常に満足のいくプレゼンをしてくれました。その時に尾身氏が鋭い質問を投げかけられたことと、アシスタントが何名も同行していたにもかかわらず、ご自身でメモを取っていらした姿が印象に残っています。尾身氏もまた、内容に満足されているようでした。

それから2ヵ月ほどして、尾身氏から「日本に新しい大学を創るプロジェクトに参加していただけないか」というお手紙をいただきました。とても魅力的なお申し出でしたので、すぐに快諾しました。それから、他のノーベル賞受賞者や著名な学者たちの中に加わり、新しい大学の方針を決定し、計画を立案することになりました。私たちは、日本とアメリカで何度も会合を開き、計画の立案に臨みました。そして、どのような大学にするかということについて多くの議論を交わしました。生命科学に特化した大学にしようという意見もあれば、私のように物理学と生命科学の両方を追求する総合大学にしようと主張する意見もありました。

尾身氏が新大学の創設を提案した大きな目的は、従来の日本の大学の伝統的な体制や方針にとらわれない研究機関を設立することでした。世界最高水準の研究と教育を行い、世界中の研究グループと共同研究を行う大学を目指していらっしゃいました。また、学際的な研究を奨励し、育成することも目指していらっしゃいました。尾身氏は、広い視野を持った強いリーダーシップを発揮し、さまざまな意見に耳を傾けながらも、最終的な決断はご自身で下していらっしゃいました。新大学で学際的な研究と各分野の研究を共に最高水準で行えるようにするには、最新鋭の機器を備えた非常に卓越した研究科を作り上げるべきであるという提案を、尾身氏はすぐにご承諾くださいました。また、海外から新鮮なアイデアを取り入れ、世界的な共同研究を推進する国際的な大学にすることも望んでいらっしゃいました。

企画会議では、内閣府からかなりの抵抗を受けました。それは、新大学が日本の伝統的な大学と運営の仕方があまりにもかけ離れていたためでした。内閣府からは支援の意思を示してはいただきましたが、折に触れて「日本のやり方はそうではない」と言われたものです。しかし、尾身氏は、何が何でもやり遂げるという強い意志をお持ちでした。内閣府から抵抗を受けた際には、私たちの何人かで大臣を訪ねて弁明することもありました。さらに、尾身氏は総理大臣との面会を実現してくださったばかりか、新大学設立のための特別措置法の発起人となり、国会で成立させました。

このようにして創設された沖縄科学技術大学院は、まさに尾身氏の志を体現したものとなっています。まだ発展途上ではありますが、OISTの研究は世界中から注目され、現在では世界でもトップクラスの学生が集まっています。政府の適切な支援があれば、世界最高水準の大学へと成長し、尾身氏の当初の目標を達成する可能性を秘めています。

尾身氏は大学設立のために奔走していらした頃、「科学技術社会論の国際会議が必要である」とお考えになり、名案を思いつかれました。そして、私たちの数名にお声をかけられ、「STSフォーラム(科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム)」を創立されました。このフォーラムは、現代社会における科学技術の光と影を議論し、人類の生活環境を改善しながら、地球の生態系を保護することも目的としています。現在このフォーラムは、毎年京都で開催される国際会議に発展しており、政官界、経済界、学界が必要な情報を共有し、適切な政策を実現するために一堂に会し、さまざまな政策課題を議論しています。このように世界を巻き込んだ会議に発展しているのです。そして尾身氏は、このフォーラムを支える資金や講演者の確保などに精力的に務めました。

この2つの大きな功績を達成されたことに加え、尾身氏は公職者としても卓越した存在でいらっしゃいました。国会議員として26年間勤務され、3度にわたって大臣を務められました。財務大臣、科学技術政策担当大臣、沖縄北方対策担当大臣をはじめ、政府のさまざまな役職を歴任されました。商学部のご出身でしたが、科学技術の重要性をよく理解していらっしゃり、日本の科学技術基本法の制定に貢献されました。

尾身氏は稀有な存在でいらっしゃいました。私がこれまでにお会いしたどなたよりも先見の明をお持ちで、情熱と献身の方であり、目標を達成する強い意志をお持ちの偉大な戦略家でいらっしゃいました。立ちはだかる障壁を、乗り越えるべき課題として捉える方でした。 尾身氏は、日本だけでなく、全世界に偉大な貢献をなされました。OISTとSTSフォーラムは、尾身氏のビジョンと功績に対する永遠の証となるでしょう。

Jerome Friedman and Koji Omi in 2018
2018年2月の第一回学位記授与式にて(左から、尾身幸次氏とジェローム・フリードマン博士)

黒川清前運営委員

私が尾身幸次氏とご一緒するようになったのは、2001年のことでした。当時、科学技術担当大臣兼沖縄及び北方領土担当大臣でいらした尾身氏が発案された沖縄科学技術大学院大学構想の内閣府検討委員会のメンバーとして私は参加していました。その後、私と沖縄との関りが深まったのは、第一次安倍内閣そして福田内閣の内閣府特別顧問としてアジアユース人材育成プログラムの創設に携わったときでした。同プログラムでは2008年から2015年にかけてアジア26カ国から約50名の学生を沖縄に招き、数週間のサマーキャンプを行い、大成功に終わりました。私はこの経験から、尾身氏がなぜ「OISTは沖縄に設立してこそ、世界一になる可能性がある」と確信を持っていらしたのか納得がいきました。尾身氏は、「新しい研究機関をなぜ東京や京都に設置しないのか」と尋ねられると、「大都市に設置しても一流にはなれない」とお答えになり、沖縄に設置することを断固としてお譲りになりませんでした。そのお言葉の通り、OISTは設立から10年も経たないうちにNature誌で日本の研究大学のトップに格付けされるまでに成長しています。

尾身氏のビジョンは、沖縄科学技術研究基盤機構の前理事長のシドニー・ブレナー博士をはじめ、OIST運営委員会の議長や委員の方々、そして前学長や現学長など、OISTに関わっていらした多くの方々の手によって実現されました。これまでの10数年間、OISTの成功のために真摯に取り組んでいらした大学の皆様に感謝申し上げます。尾身氏が10周年記念式典や記念行事の直前にお亡くなりになったことは大変残念ですが、尾身氏を偲ぶ方々のお言葉は、ご息女にとりましても、きっとお慰めとなることでしょう。

私は14年間米国で過ごしましたが、その中で日本の科学技術をどのように振興していくかが、切実な課題であることを痛感しました。このグローバルな世界において、科学技術の重要性はますます高まっており、OISTが発信するメッセージと尾身氏のビジョンを広める活動が、これまで以上に重要性を増していると考えております。

Kiyoshi Kurokawa and Koji Omi in Tokyo
2016年12月15日東京にて

ジョナサン・ドーファン名誉学長

2000年代の初頭に、尾身氏がスタンフォード大学にいらしたとき、私たちの中を風が吹き抜けたような感覚を覚えました。しかし、その後自分がその風に乗って、航海に出られることになるとは、思いもよりませんでした。

尾身氏は、本当に偉大な方でいらっしゃいました。先見の明をお持ちで、驚くべきエネルギーを以て、そのビジョンを実行に移されました。試練は打ち勝つためにあるものと捉えられた尾身氏の「山をも動かす」力に圧倒されました。尾身氏は、日本のために顕著な貢献をされたばかりか、世界的なご活躍もなさいました。STSフォーラムは、その一例に過ぎません。人類に対する深い慈愛に満ちた尾身氏とお近づきになれたことを、光栄に思います。OISTの創設は、尾身氏の努力の賜物であり、筆舌に尽くしがたいほど感謝しております。

Jonathan Dorfan and Koji Omi at OIST
ジョナサン・ドーファン氏と尾身幸次氏(2013年5月8日 OISTセンターコートにて)
Hiroyuki Hosoda and Koji Omi 2005

細田博之氏と尾身幸次氏(2005年10月13日 沖縄科学技術研究基盤準備機構発足報告会にて)

OIST founders in Tokyo 2013

OIST設立メンバー(東京にて)