2016-03-31

氷中で「踊る」陽子の秘密

 冷たくて美味しい飲み物を口にするとき、大抵の人はコップに入った氷の中で何が起きているかを考えたりはしないでしょう。沖縄科学技術大学院大学(OIST)量子理論ユニットのニック・シャノン准教授らは、このたび、ある2つの実験に基づいた詳細な理論を打ち立て、氷中の陽子の振る舞いを明らかにし、アメリカ物理学会発行の学術誌「フィジカル・レビューB(Physical Review B」に発表しました。

 もうもうとした煙から硬い岩まで、物質の形態は、それを構成する原子がどのような集団的行動を取るかにより決定されます。では、原子の集団はどのように行動を選択し、決定しているのでしょうか。「単一の量子的な粒子の振る舞いについては、その全容がほぼ明らかになっています」とシャノン准教授は説明した上で、「しかし、量子的な粒子が集団で行動した場合には、予想外の動きが見られます。驚くべきことに、氷のような単純な物質でさえも、量子的な粒子たちがどのような集団運動を引き起こしているのかほとんど知られていないのです」と語っています。

 水分子は、酸素イオンと2つの陽子(水素原子)が、原子同士で互いの電子を共有することで生じる非常に強い共有結合によって形成されます。氷の中では、これら水分子が結合強度の弱い水素結合で結び付いており、各酸素原子は隣接する陽子と2つの短い共有結合と2つの長い水素結合を形成しています。水によってできた氷の原子配列は独特で、酸素原子はハチの巣に似た六角形の結晶を形成しています。一方、水素原子を作る陽子のほうには、一定の周期的な配列は見られません。その代わり、陽子の配列は「アイスルール」と呼ばれる規則に従っています。アイスルールでは、各結合には陽子がただ1つ含まれており、各酸素イオンには陽子が2つずつ隣合わせに結合しています。でも実は、たとえ小さな氷片であっても、アイスルールを満たす陽子の配列の仕方は実質上無限大といえるほどにあります。それでは氷中の陽子の配列は秩序立っているのか、それとも無秩序なのでしょうか。

水氷の一般的な結晶構造。酸素(赤球)はハチの巣に類似した六角形の配列。各酸素イオンは隣接した陽子(白球)と2つの短い結合と、2つの長い結合を形成している。各結合に陽子が必ず1つ、各酸素イオンに陽子が2つ隣接したこの構造はアイスルールに沿った形状である。

 イギリスで行われた凍結した重水(D20)の結晶で中性子を散乱させる実験結果に対して理論的説明を与えることで、OISTの研究チームは、この基本的な質問に対する答えを導きました。一般に結晶中の規則正しく整列した原子で中性子が散乱すると、実験ではある規則的なパターンの光点を示します。一方、完全に無秩序状態の原子から散乱した中性子の散乱パターンには特に目立った特徴は見られません。しかし氷中の陽子には、このどちらのパターンも当てはまらず、蝶ネクタイあるいはアルファベット文字の「M」の形をした散乱パターンが見られました。蝶ネクタイの形を示した散乱パターンには「ピンチポイント」という専門的な呼び名がついています。興味深いのは、ピンチポイント散乱パターンでは陽子が完全な無秩序状態を示していないところです。局所的には規則正しく整列していますが、全体的には乱雑な状態にあります。これは自然界においては極めて珍しいパターンで、氷やスピン・アイスと呼ばれる一種の磁性体、そして陽子結合を持つ強誘電体の物質の中だけに見ることができます。「ピンチポイントは、陽子の状態がある理論を基に数学的に説明できる可能性を示唆しています。ある理論とは、重力や電磁気力といった自然界における基本的な力すべての一般的な法則を表すゲージ理論のことです。「ゲージ理論は自然に隠された最大のトリックの一つで、素粒子論の標準模型の基礎となっています」とシャノン准教授は説明しています。

OISTの研究チームは、X線実験や中性子散乱実験でみられた陽子のパターンを理論的に説明した。マップ上に黒い円で表示しているピンチポイントは、水氷中の陽子が局所的には秩序だった並びであるが、全体的には無秩序な配列であることを示している。

 OISTの研究チームは量子物理的観点からも氷の分析を行いました。量子物理の世界では、陽子が一つの場所から別の場所へ飛び移ることができてしまう「トンネル効果」と呼ばれる現象があります。これを氷中の粒子の動きで見てみると、酸素の位置は安定した秩序配列である一方、陽子の振る舞いは流動的であることが分かります。「氷の中の陽子は静止しておらず、酸素の周りで踊っているのです。マイナス268℃に近い超低温度でも陽子は乱雑で流動的な挙動を示します」と同准教授は語っています。

トンネル効果により変化した陽子の配置。水素陽子(白球)は別の場所へ飛び移ることができるため、水素と酸素の長い水素結合と短い共有結合が水氷の六角形の結晶中で入れ替わっている。

 OISTの研究チームは量子力学的なゲージ理論を用いて、イギリスで実施された別の実験の結果に対しても理論的説明を行いました。この実験では、中性子ビームが氷中を透過する際に氷に吸収されるエネルギーを測定しました。シャノン准教授は、「ガラスに向かって歌うと、ガラスは振動します。氷の中の陽子で中性子が散乱するときも同じ現象が起きます」と説明します。しかしこの場合、無秩序な陽子の集団的な「振動」は特殊な形態をとります。光を構成する「光子」という素粒子と全く同じように振舞うのです。ただし氷の光子は、電場や磁場が振動して伝播していく電磁波の一種ではなく、集団的に運動する陽子で構成されています。本研究に関する論文の筆頭著者であるベントン・オーウェン博士は、「氷の中の陽子の集団運動を説明する数式は、光の動きを説明する数式と全く同じものです。氷の中では光と陽子の動きはとてもよく似ています」と述べています。

グラフ中の線は中性子散乱実験で中性子が氷中を通過する際のエネルギーと運動量の減衰量の関係を示している。色の付いた部分は光子が出現する可能性を測定したもの。可能性が高いものは赤、低いものは青で表示。

 「学べば学ぶほど、水が万物の中で最も美しく神秘的な物の一つであることを実感します」と、シャノン准教授は言います。皆さんも、冷たい飲み物を口にする時、その魅力を改めて堪能してみてはいかがでしょうか。