渡り鳥はどうやって地球の磁場を感じるのか? 量子生物学の謎に迫る新たな数学理論

量子系を最適に制御するための新たな数学原理を証明。鳥が地球の磁場を感知する仕組みの検証や次世代量子コンピューティング技術への応用に期待。

量子もつれや重ね合わせといった量子効果は、原子や分子といった、生物とはかけ離れた極小の世界の出来事と考えられてきました。しかし近年、その量子効果が生物の体内でも重要な役割を果たしている可能性が注目されています。
なかでも、鳥が渡りの際に地球の磁場をどのように感知するのかは、量子生物学における最大の謎の一つで、この能力は量子もつれによって実現されているとも考えられています。沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームは、このたび、量子系を最適に制御するための新たな数学的原理を証明しました。この成果は、鳥の磁気感知メカニズムを実験的に検証する研究を前進させるとともに、将来の量子コンピューティング技術に応用可能な新たな道を開くと期待されています。研究成果は学術誌『Quantum』に掲載されました。

OIST解析と偏微分方程式ユニットを率いるウグル・アブドゥラ教授は、本研究について次のように説明しています。「量子効果が生物に果たす役割について、これまでも多くの研究が行われてきましたが、アイデアや仮説を実験に落とし込むことは必ずしも容易ではありません。量子効果を制御するための数学的基盤を築くことで、量子生物学の仮説を、理論の領域から実験的に検証できる段階へと前進させる手助けができればと考えています。」

量子もつれによるナビゲーションの仕組みを研究する難しさ

量子生物学に関する疑問に答えることは容易ではありません。「量子効果は、生物よりもはるかに小さいスケールでのみ意味を持ちます。また、その相互作用は極めて短時間で起こるため、最先端の実験をもってしても、その実態を突き止めるのは極めて困難です」とアブドゥラ教授は述べています。鳥が磁気を感知できるのは量子効果によるものだとする仮説が提唱されてから50年近くが経過しているにもかかわらず、その正否を決定付ける実験的証拠は、いまだ得られていません。

この仮説の中心にあるのは、生化学反応の速度が外部の磁場によって変化する可能性があるという考え方です。生化学反応では、電子が移動したり組変わったりすることで化学結合が形成されます。その過程で、一時的に結合していない電子の対(ラジカル対)が生じることがあります。このラジカル対の電子は、量子もつれ状態となり、スピンと呼ばれる磁気的な性質を通じて互いに影響し合います。ラジカル対の電子は、互いのスピン状態によって異なる量子状態を取り、その違いが化学反応の進行速度に影響します。さらに、その量子状態は外部の磁場によって変化するため、反応によって生じる物質の量も変わる可能性があります。つまり理論上は、鳥は、体内で起こる化学反応の変化を利用して、地球の磁場を感知している可能性があるのです。

鳥の磁気コンパスから量子コンピューティングのアルゴリズムまで、磁場を利用して量子系を制御する方法を理解する研究分野は「量子最適制御理論」と呼ばれます。「私たちが取り組んでいる問題は、外部からの制御によって量子系をある状態から別の状態へと移す方法を明らかにすることです。これはあらゆる新しい量子技術の開発における中心的な課題であり、量子生物学を理解するためにも重要です」とアブドゥラ教授は述べています。

量子状態を最適に制御する数学原理

アブドゥラ教授らは以前、磁場中のスピン系に対するポントリャーギンの最大原理(PMP)を証明しました。この原理は、量子状態のコヒーレンスを最大化するには、磁場の強さを徐々に変化させるのではなく、極端に強い状態と弱い状態の間で急激に切り替える「バンバン制御」と呼ばれる手法が最適であることを示しています。この原理はもともと複雑系の力学の分野で発展したもので、私たちに身近な場面にも似た例があります。例えば、静止した車を地点Aから地点Bまで最短時間で移動させて正確に停止させるには、まずアクセルを最大まで踏み込み、その後ブレーキを強くかける方法が理論上は最も効率的です。「この原理が、日常的な現象から量子世界に至るまで、これほど多様なシステムに共通して成り立つという事実は非常に興味深いことです」とアブドゥラ教授は語ります。

しかし、実際の運転ではそのような操作が難しいのと同様に、量子スケールで急激に切り替わる電磁場を生成することには大きな技術的課題があります。そこでアブドゥラ教授は、OISTのジョゼ・ロドリゲス博士、マサチューセッツ工科大学(MIT)のJean-Jacques Slotine教授と共に、完全に最適ではなくても、実験や生体内で実現可能な制御手法があるのかを調べました。今回示された数学的証明では、現実的な連続磁場という制約を課した量子系についても、ポントリャーギンの最大原理が成り立つことが示されました。さらに、そのような現実的な磁場制御によって、理論上の最適値の99%以上に相当する高いコヒーレンスを達成できることも明らかになりました。

この数学的枠組みは、鳥の渡りの仕組みを解明する研究だけでなく、将来の量子コンピュータにも応用可能な、実験室で量子系をほぼ最適に制御する実験研究の基盤となる可能性があります。「私たちは、この一般的な数学原理を量子系へと拡張しました。その結果、この制御手法を検証するために必要な磁場の与え方を、実験研究者に具体的に示せるようになりました」とアブドゥラ教授は述べています。「実験研究の指針となる数学的原理を明らかにできたことは、とても刺激的で大きなやりがいを感じます。」

一方で、数学者たちの仕事はこれで終わりではありません。「数学モデルとは、対象を単純化して描いた『似顔絵』のようなものです。私たちは、システムの中でも特に重要だと思われる側面に焦点を当てています。そのため、私たちの見方にも限界や不完全さはあります。しかし、これはあくまで第一段階です。モデルはさらに改良を重ねることができ、そうした似顔絵に少しずつ磨きをかけることで、現実に近い『肖像画』へと近づけていけるのです。」

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