2020-08-11

脳のハードドライブの仕組みと理由を探る

記憶は私たちのアイデンティティの中核をなしています。様々な意味で、記憶は私たちの人生の記録だということができます。出来事や会話、人々、事実を記憶する能力は、私たちが周りの世界にどのように反応するかの重要な部分を形成しています。記憶はまた、過去の教訓や警告を思い出させる役割を持ち、それによって私たちは時に笑い、時に恐怖に身をすくめるのです。このように記憶は重要であるにもかかわらず、脳がどのように記憶を形成し、保存するのか、そしてなぜ失われる記憶と永遠に保存される記憶に分かれるのかについては、いまだにはっきりとわかっていません。

沖縄科学技術大学院大学(OIST)の田中和正准教授は、これらの謎の解明に取り組もうとしています。人間の心の仕組みに大きな関心を持つ田中准教授は、2019年7月にOISTに着任し、記憶研究ユニットを立ち上げました。マウスを使った行動実験や遺伝子操作を用いて、脳が過去の経験に関する情報をどのように記憶しているかを明らかにしようとしています。

田中和正准教授

「過去の出来事についての記憶(エピソード記憶)についてはわかっていないことが多く、この研究分野は混沌としています。エピソード記憶に関しては数多くの理論が存在しており、これまでの研究結果の解釈にも意見の一致をみていません。一部の実験がある理論を裏付けていたとしても、他の理論の可能性を否定していないのです。エピソード記憶に関与している脳の部位「海馬」は、動的で不安定であることがわかっています。私たちの研究グループではその理由を理解しようとしています」と田中准教授は話します。

理由の解明に向けて、研究グループでは、海馬のニューロン(神経系の中で他の細胞に情報を伝達する細胞)の研究に取り組んでいます。

田中准教授は「海馬について想定外だったことは、ニューロンが均一ではなく、それぞれの細胞に個性があるという点です」と述べています。

これは、すべてが均一であるコンピュータのハードドライブとは対照的です。一つの経験には多数の情報が含まれており、それぞれ特定の記憶は海馬内の複数のユニットにまたがって保存されています。例えばレストランで食事をしている時は、料理の味を覚えるだけでなく、窓の外の景色を楽しんだり、同僚と会話をしたりしているかもしれません。海馬の中では、あるユニットが物体を記憶し、別のユニットが空間を記憶し、また別のユニットがより抽象的な詳細を記憶するということが行われています。

さらには、海馬に関するこれまでの研究で、海馬内の細胞は安定していないことがわかっています。出来事を記録してから数日から数週間で、ニューロンの活動は完全に変化し、海馬はその情報の表現の仕方を変えます。

田中准教授はこれらの特徴に大きな関心を持っています。「なぜ海馬が動的で不安定なのかを理解したいと思っています。記憶の劣化が原因なのか。不安定であることが動物の記憶を何らかの形で助けているのか。そして、なぜニューロンは均一ではないのか。情報の保存方法としては非常に不便なものにも思えます。」

OISTで新たに立ち上げた研究室で、顕微鏡でサンプルを観察する田中和正准教授

田中准教授の研究ユニットでは、マウスを用いて海馬の研究に取り組んでいます。まず、マウスに特定の場所への移動や、報酬の獲得、脅威からの回避などを学習させた後、行動の変化から記憶を推測して検証します。

研究ユニットで取り組むプロジェクトの一つでは、ニューロンの活動の変化がいつ起こるのかを特定するために、マウスの脳に小型の顕微鏡を埋め込み、海馬のニューロンを長期間記録します。

また別のプロジェクトでは、ニューロンの移植という新たな研究テーマに挑戦します。ニューロン移植ではある動物の脳からニューロンを取り出し、別の動物に移植します。成功すれば、移植を受けた動物(レシピエント)の学習能力が高まるのではないかと田中准教授は仮説を立てています。

「ある動物から別の動物にニューロンを移植して機能するかどうかを確認する計画です。もし機能すれば、レシピエントはより多くのニューロンを持つことになります。移植されたニューロンが本来のニューロンと同じように 情報を伝達できれば、 海馬の仕組みについて多くのことがわかるでしょう」と田中准教授は話しています。

田中准教授がOISTを選んだ理由の一つは、どのような研究プロジェクトでも自分で選択して探求できるということでした。「私は日本の国際的な大学で研究したいと思っていました。OISTのことは、OISTに関する記事や、他の研究者との話を通して知りました。研究費とリソースが充実していて、研究の自由度が高いので、研究者にとって最高の場所だと思います。」と話しています。 

田中准教授の研究を突き動かしているのは人間の脳に対する好奇心ですが、記憶の仕組みをより深く理解することで、社会への応用も期待されます。「脳の根本的な理解に主眼を置いていますが、もちろん、私たちの研究は健忘症やアルツハイマーなどの神経変性疾患にも関連しています。」と田中准教授は説明しています。

記憶研究ユニットのメンバーと研究について議論する田中和正准教授

(ディッキー・ルシー)

広報や取材に関して:media@oist.jp