吸入麻酔薬の作用メカニズムを解明

シナプス前末端における伝達物質放出量の減少が、個体の意識レベルの低下をもたらすことがわかりました。

Scientists unveil how general anesthesia works

吸入麻酔は古来より、外科手術や動物実験に広く使われています。吸入麻酔薬の作用メカニズムには諸説ありますが、意識レベルの低下をもたらす分子細胞標的は未だに解明されていません。OISTの研究者はラットの脳幹スライスと、活動中のマウスの大脳皮質から、それぞれ電気信号記録を行い、この問題に光を当てました。その結果、シナプス前末端における伝達物質放出量の減少が、個体の意識レベルの低下をもたらすことが明らかになりました。

本研究は、4月24日に発表されたJournal of Neuroscienceにオンライン掲載されました。

脳波は多数のニューロンにおけるシナプス電位と活動電位の時空間的総和に由来しますが、脳波の高周波成分は認知、記憶、運動制御、意識などの高次の脳機能に関わり、低周波成分は生命の維持に必須であることが知られています。全身麻酔薬を吸入すると、意識レベルの低下と平行して、脳波の高周波成分が消失して、低周波に移行します(図1)。麻酔薬は生命の維持に必要な低周波信号を温存しながら、高周波信号を遮断することによって麻酔作用を引き起こすといえます。

図1 意識レベルの低下(上段→下段)に伴う脳波の変化

覚醒マウスでの実験

無麻酔マウスの頭部を固定して、大脳皮質の複数のニューロンから自発性活動電位の発火を記録し、シナプス前ニューロンを刺激して、活動電位(AP: action potential)を誘発しました。麻酔薬イソフルランを吸入させると自発性、誘発性AP発火頻度が共に低下しました(図2)。

図2 A:実験方法:頭部を固定したマウスの大脳皮質第5層の32箇所に記録電極を置いて、約150個のニューロンから活動電位の発火を記録した。 B:上段:ランダムに発性する自発性発火に加えて、光感受性イオンチャネルを発現させたシナプス前ニューロンを青色光で刺激すると、刺激直後の一定のタイミングで発火が誘発される。活動電位(AP)発火を黒点表示。200回刺激を繰り返している(Trials)。5秒に1回、青色縦線による光刺激はTime 0の時点で行った。刺激前の黒点はすべて自発発火。中段:麻酔薬イソフルランを吸入させると自発性、誘発性AP発火頻度が共に低下する。イソフルラン投与後のAP発火は赤点表示。下段:発火数ヒストグラム。イソフルラン投与前(白)、後(赤)のヒストグラムを重ねて表示。 C:イソフルラン投与前後の発火頻度減少率(%)。刺激頻度1/5秒(0.2 Hz)と1/0.5秒(2 Hz)の比較。**有意差 (p < 0.01).

この実験から明らかになったことは、5秒に1回の刺激で誘発した発火より、0.5秒に1回刺激して誘発した発火の方が麻酔薬の作用を強く受けることです。麻酔薬吸入前は、刺激の頻度にかかわらず、発火は30-35 Hz程度でしたが、麻酔薬吸入後、5秒に1回の刺激で誘発される発火は7.3 Hzに減少したのに比べ、0.5秒に1回の刺激で誘発される発火は1.9 Hzに減少しました(図2C)。この事実は麻酔薬が高周波の活動電位発火を選択的にブロックすることを示唆します。

ラット脳幹スライスでの実験

吸入麻酔薬の作用メカニズムを更に明らかにするため、ラット脳幹スライスのカリックス・シナプス前末端と後シナプス細胞から高頻度に誘発した活動電位を同時記録してイソフルランを灌流液に投与すると、後シナプス細胞の活動電位発火の脱落が観察されました(図3)。マウスで実験した結果(図2C)と同様に、この抑制作用の強さは刺激頻度に依存していました。スライスのシナプスでも吸入麻酔薬は高周波の活動電位発火を選択的にカットすることが分かります。

図3 ラット脳幹スライス、カリックス・シナプスにおける麻酔薬の作用。 A:シナプス前末端(プレ)とシナプス後細胞(ポスト)からの活動電位(AP)同時記録。 B:2-200 HzのプレAP(緑)によって誘発されるポストAP。イソフルラン投与前(黒)投与後(赤)。 C:プレの刺激頻度に依存するポストAPの発火率(%)。

麻酔薬の標的分子細胞メカニズムを探る

この実験結果から、麻酔薬はシナプス前末端に作用して神経伝達をブロックすることが分かりますが、シナプス前末端のどこに作用するのでしょうか。シナプス前末端に活動電位が到達すると、カルシウムチャネルが開き、カルシウムが細胞外から流入して小胞タンパク質のカルシウムセンサーと結合し、小胞タンパク質と末端タンパク質の共同作業によって小胞膜と前末端膜が融合して開口放出が生じます。空になった小胞はリサイクリングを経て補充再利用されます。したがって、麻酔薬の標的は、カルシウムチャネル、開口放出タンパク質、小胞再利用機構のいずれかと推測されます。そこで、それぞれの標的に対する麻酔薬の作用をテストした結果、イソフルランにはカルシウムチャネルをブロックする作用と、開口放出を直接ブロックする作用があるものの(図4)、小胞再利用には影響を与えないことが分かりました。

シナプス前末端活動電位の発火頻度が低い時には、麻酔薬は専らカルシウムチャネルをブロックして伝達物質の放出量を減少させますが、高頻度発火によってカルシウムが大量に細胞外から流入すると、麻酔薬は開口放出機構にも作用して、伝達物質の放出を更に減少させます。小胞開口放出機構とカルシウムチャネルが共にブロックされることによって高周波電気信号が選択的に抑制されると結論されます。

図4 シナプス前末端におけるイソフルランの作用。
A: 電位依存性カルシウム(Ca)チャネル電流の可逆的抑制(WO; washout)。サンプルトレース(上段)と電流電圧曲線(下段)。
B: Ca流入量(横軸)と小胞開口放出量(縦軸)の関係。Ca流入量が増えると、開口放出が飽和して最大値に達する(黒)。イソフルラン(赤)はCa流入以降の開口放出機構に作用してこの最大値を抑制する。

今回の研究はラットの脳幹スライスと活動中のマウス(in vivo)の実験を平行して行い、麻酔薬の作用を比較解析したユニークなものです。この研究は、元OIST研究員の江口工学博士(現ISTオーストリア)が始めた脳幹スライスのプロジェクトをOIST研究員のハンイン・ワン博士が引き継ぎ、名古屋大学の山下貴之博士(元OIST 研究員)がin vivoの実験を行って、吸入麻酔薬の作用機構を明らかにしたものです。シナプス前末端における伝達物質放出量の減少と個体の意識低下を関連付ける重要な研究成果と言えます。

専門分野

広報・取材に関するお問い合わせ:media@oist.jp

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