2017-06-30

極小サイズの技術が持つ臨床検査応用への大きな期待

 医療の現場では、患者への治療と快復の効果の向上のため、より簡便かつ迅速で、低コストの臨床検査キットが常に求められています。 近年では、患者から採取された血液などの生体サンプルに含まれる疾患の指標となるバイオマーカーと呼ばれる生体分子を臨床医が測定するために、マイクロ流体型の生化学反応系に基づく検査キットが利用されています。 これらのキットにより得られた生体サンプル中のバイオマーカーの濃度を正常値と比較することで、疾病の有無を判定することができます。 バイオマーカーの濃度を測定する際には、診断キットの内部にあるセンサー表面に患者の生体サンプルが注入され、センサー表面にあらかじめ配置されたバイオレセプターによって、目的のバイオマーカー分子だけが補足されます。その後、補足されたバイオマーカーに結合する蛍光色素を添加し、そのシグナルの強弱からバイオマーカーの濃度が算出できます。そして、得られたバイオマーカーの数値を基にして、適切な治療法を見つけることができます。これらの検査キットの性能を高めるための重要な技術要素は、バイオレセプターのセンサー表面への固定化方法であり、多くの場合、バイオレセプターの活性を保持することは非常に困難であるとされてきました。

 この問題点を克服するための新たな試みとして,マイクロコンタクト・プリンティング(Microcontact printing: µCP) * と呼ばれる技術が20年前に提案されました。 この技術は、ゴム素材のスタンプを用いてバイオレセプター分子を基板表面に転写・配置する原理に基づいており、多くのアプリケーションを有した様々な分析反応系にその応用が進められてきました。一方で、この技法にはいくつかの課題もあり、特にタンパク質やDNA分子に注目したナノスケールのような微小な領域では、その適用が極めて難しくなります。  この難しさの原因は、従来のマイクロコンタクト・プリンティング技術をナノスケールに適用した場合に生じるスタンプ形状の極僅かな変形やバイオレセプターのダメージが影響する事であり、それらの要因が臨床検査や他の分析反応への応用の障壁となってきました。 この度、ナノスケールにおけるこれらの課題を克服する最新のプリンティング(転写)技術を、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームが開発し、その研究成果をイギリス王立化学界が発行する学術論文誌 Analyst にて発表しました。

 「マイクロコンタクト・プリンティング技術に必要なものは、スタンプとインク、そして基板です。それだけで目的のパターン形状が基板に作製できます。」と、本論文の筆頭著者で、マイクロ・バイオ・ナノ流体ユニットに所属するOIST博士課程学生のシヴァニ・サティッシュさんは説明します。

 ここで用いるスタンプとは、ポリジメチルシロキサンと呼ばれる柔軟性を有するゴム素材で作られており、このゴムはスタンプ用として馴染みのある素材です。他方でインクは、ケイ素と酸素の化合物の一種であるAPTES (3-aminopropyl triethoxysilane) の溶液であり、基板はガラス素材となります。 スタンプ表面にインクを塗布して、続けてスタンプを基板に押しつけてしばらく静置します。その後、スタンプを基板から引き離すと、ガラス表面にAPTES分子のパターンが形成されます。このパターンは,APTES分子の有無によって色分けされ、碁盤の目のような規則正しい模様に描くことができます(図 ii)。次の段階として、分子パターンが形成されたガラス表面にマイクロ流路構造を組み合わせることにより、1つないし、2つ以上の流路から様々な溶液を個別にガラス表面に導入することが可能となります(図iv)。この組み合わせを利用し、マイクロ流路中でバイオレセプターをAPTES分子のパターン部分だけに化学的に結合させ、目的の診断キットに必要なセンサー素子が完成します。このセンサー素子の大きさは、非常に小さく、ちょうど郵便切手程度のサイズです。

 この仕組みはすでに、病気診断のためのバイオアッセイとして使用可能です。測定試験を行うには、患者の流体試料をガラス面に密着した流体デバイス内に流しこみます。試料に属している病気バイオマーカーが陽性を示せば、バイオレセプターを塗布した領域に分子が「付着」するのです。 実際にこのセンサー素子を用いて検出反応を行うためには,生体サンプルをマイクロ流路中に導入します.もし標的のバイオマーカー分子が存在すれば,その分子はバイオレセプターが形成された領域に補足される仕組みとなっています。

まず柔らかいスタンプの表面にAPTES溶液を塗布します(i)。次にスタンプをガラス表面に押しつけて,APTES分子を転写(印刷)します(ii)。形成されたAPTES分子を覆うようにマイクロ流路を配置し(iii)、臨床診断キットに必要なバイオレセプター分子をガラス表面に固定できる構造が完成します(iv)。

 APTES溶液を用いる利点は、その分子の持つ化学的な利便性です。 「目的のバイオレセプター分子に合わせてAPTES分子との適切な分子結合を選ぶだけで良いのです」と、サティッシュさんは説明します。 言い換えると、APTES分子一種類のスタンプ(転写)を使えば、様々な種類の異なるバイオレセプター分子が配置された反応系を構築できます。そのため、ひとつのスタンプにより複数の検出反応や疾病検査を単一の基板上で行うことが実現します。この特徴は、癌のような一度に多くのバイオマーカーを検査し、診断を向上させるといった複雑な臨床検査の場合に役立つと期待されます。

 サティッシュさんの研究チームは、さらにナノスケールに適した臨床診断キットの構築を可能とする発展技術も開発しました。彼らははじめに、水中で作られたAPTES分子のインクを使用して、ナノスケールのパターン構造を作製しました。この方法によって、煩雑な化学反応とは異なり、スタンプが膨潤する問題点を克服できます。その後にAPTES分子をパターン化し、マイクロ流路の組み合わせによって行う基板表面へのバイオレセプター分子の固定操作を最も終わりに近い工程としました。この工程順序によって、バイオレセプター分子が受ける悪影響や活性低下といった課題を研究チームは回避しました。 最終的に研究チームは、IL-6とCRPと呼ばれる疾患診断に使用されるバイオマーカーの2つの成分の検出反応を試験し、完成された診断キットの有用性を実証しました。この2つの成分は、体内での炎症反応が発生した場合に血液中濃度が上昇することが知られています。

 「最終目標は、ポイントオブケア診断法を可能にするデバイスです」と、本研究チームを率いたOISTエイミー・シェン教授が語ります。

 「事前に、バイオレセプターをマイクロ流体デバイス内に組み込ませておけば、診断ツールが必要になった際に使用することができます」と続けます。「(最終的には)臨床医チームによる生体試料の大掛かりな検査をしてもらうのではなく、患者自身が自宅で診断できるようになることを目指しています。」

* マイクロコンタクト・プリンティング(Micro-contact Printing: µCP)
小さなスケール(マイクロ:micro)で、スタンプを押し付ける(コンタクト:Contact)操作によって、目的のインク(化合物やタンパク質,金属のペースト等)を基板に印刷(プリンティング: Printing)する技術。従来の凸版印刷技術を発展させ、半導体微細加工による高精細な凸版スタンプと分子レベルで制御されたインク溶液を用いることにより、簡便な操作で均一かつ微細な分子パターンを広い面積に形成できる特徴を有する。近年では、導電性有機材料をインクとしたµCP技術を応用して、有機EL素子や半導体集積回路を製造する事例も報告されている。本技術は、バイオや化学だけでなく、エレクトロニクスの分野でも注目の高い技術である。

シヴァニと論文共著者のカズミ。今回、開発を行った研究室で。

(マックガバン・アン)

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