進化するために失うもの -哺乳類の進化を腸と細菌の関係から見る-

哺乳類の腸管表面の粘液層に定住する腸内細菌が、「キチン」という多糖の一種を主要素としたバリア免疫機構を失うことと引換えに成立したこと、そして、動物進化の観点から新しい存在であることが明らかになりました。

 沖縄科学技術大学院大学(OIST)マリンゲノミックスユニットの中島啓介研究員らは、哺乳類の腸管表面の粘液層※1に定住する腸内細菌※2が、「キチン」という多糖の一種を主要素としたバリア免疫機構を失うことと引換えに成立したこと、そして、動物進化の観点から見て新しい存在であることを明らかにしました。

 この研究成果は、動物とその腸内細菌の共生関係がどのように成立したかという進化的な疑問に答えると同時に、哺乳類の腸内細菌の特殊性を説明するものです。本知見に基づいて、ヒトの予防医学や、畜産や魚の養殖などへの腸内細菌の応用が進むことが期待されます。本研究成果は、英国の科学雑誌 Nature Communications に掲載されました。

研究の背景と経緯

 我々ヒトを含めた哺乳類の消化管には、多様な細菌が大量に存在し、消化吸収はもとより神経系や免疫系の発達に重要な役割を果たすことが知られています。これらの腸内細菌は、腸管表面の粘液層に定住し、粘液層の主構成タンパクであるゲル形成ムチン※3の糖鎖※4部分を消費しています。このゲル形成ムチンの糖鎖を介した腸内細菌とのやりとりは多くの動物に共通した仕組みだと考えられていました。

 一方で、昆虫などいくつかの無脊椎動物においては、腸管表面から分泌されるキチンのナノファイバーが網目状のチューブ(囲食膜)を形成し、栄養分は通過するが細菌は通過できないバリア免疫機構として機能することが知られていました。

 哺乳類の粘液層と無脊椎動物の囲食膜は、いずれも腸管表面にあり、腸内細菌への対処と消化吸収への貢献という似た働きをしますが、それぞれの動物グループで成立した別個な存在であると見なされていました。

本研究に関わったOISTのメンバー 写真左から:菊池さくら技術員、中島啓介研究員、佐藤矩行教授
OIST

研究内容

 研究は、脊索動物を対象に行われました。脊索動物は、脊椎を獲得する以前の原始的なグループ(ナメクジウオ・ホヤ)、脊椎は有するが顎を獲得する以前のグループ(ヌタウナギなど)、脊椎と顎を有するグループ(真骨魚・哺乳類など)で構成されます。そのため、無脊椎動物の昆虫と哺乳類の間を埋める知見が得られることが期待されました。

 まず、ホヤにおいて、昆虫同様にキチンナノファイバーで形成された網目状チューブ構造が存在し、腸内細菌に対するバリアとして機能することを明らかにしました。次いで、同様の構造が、ナメクジウオ・ヌタウナギ・真骨魚(カワスズメ・ゼブラフィッシュ・ニジマス)に存在することを明らかにしました。従来、真骨魚の腸管表面は哺乳類同様に粘液層に覆われ、粘液層には腸内細菌が定住していると考えられてきました。しかし、実際には、腸管表面の粘液層を覆うキチンナノファイバーの網目状チューブ構造に阻まれて、真骨魚の腸内細菌は粘液層に直接触れることがありませんでした。対照的に、哺乳類であるマウスの腸管にキチンは検出されず、腸管表面の粘液層には大量の腸内細菌が定住していました。

参考図:無脊椎動物、脊索動物、哺乳類の腸管表面略図 昆虫などの無脊椎動物では、多糖の一種「キチン」製のバリア(囲食膜)が形成され、腸内細菌から腸管表面を守っている。脊索動物で脊椎のないホヤは、昆虫同様にキチンのナノファイバーが存在し、腸内細菌に対するバリア機能が見られた。脊索動物で脊椎と顎のある真骨魚の腸管表面は哺乳類と同様に粘液層に覆われているが、キチン製バリアが存在することで腸内細菌が粘液層に直接触れることがない。対照的に、哺乳類のマウスの腸管内にはキチン製のバリアが存在せず、粘液層への腸内細菌定着が見られる。
中島啓介

 これらの結果に基づいて、キチンによるバリア免疫機構は脊索動物にとって祖先的な特徴であり、今なお多くの動物グループにおいて保持されていますが、少なくとも哺乳類においてはそれが失われて初めて腸内細菌による粘液層への定住が可能となったという説を提案しました。

 

今回の研究成果のインパクト・今後の展開

 腸内細菌と宿主動物の相互作用はとても複雑です。しかし、どのように複雑な現象であっても、生物進化の結果である以上、祖先的な特徴と新しい特徴に位置づけて整理することで、より深く理解できるはずです。今回の研究結果は、飛び抜けて複雑な哺乳類とその腸内細菌の共生関係がどのように成立したかという進化的な疑問に対して、ゲル形成ムチンで構成された粘液層を介した相互作用の特殊性とその更なる研究の必要性を示しています。同時に、かつて重要であった仕組みであっても、それを失うことと引換えに新たな機能を実現する生物進化のダイナミックな一面も示されました。本知見に基づいて、腸内細菌を利用したヒトの予防医学や、えさの改良などといった、畜産や魚の養殖への応用など、それぞれの動物グループの腸と細菌の共生関係の違いを考慮した製品開発などが進むことが期待されます。

ホヤが摂食する様子 研究に用いたホヤCiona intestinalis Type Aが海水中の微生物をろ過摂食する様子。赤い球状の物体は、海水と摂食物の流れを可視化する目的で加えた直径10umのプラスチックビーズ。画面左側を向いた入口から体内に吸い込んだ海水は、画面の下側を向いた出口から体外に排出される。海水中のビーズは画面中央部の咽頭器官から分泌されたろ過ネットに効率よく捉えられたのち、画面右側の消化管に送り込まれる。
中島啓介

用語説明

※1 粘液層

 哺乳類の腸管表面を覆う粘液の層。主成分であるゲル形成ムチンの糖鎖成分のため、粘性で保水力が高い。腸内細菌が定住する場であるとともに、組織への接触を阻むバリアとしても機能する。腸管の長軸及び放射方向に形態の多様性が認められる。

※2 腸内細菌

 腸管に存在する細菌。宿主動物にとって有益なものも有害なものもある。哺乳類の場合、種に特異的で多様な組成の細菌が大量に存在するが、無脊椎動物の場合、一般的に環境依存的で単純な組成になりやすい。個々の細菌種の空間配置が総体としての生態系の働きに影響すると予想されるが詳細は不明な点が多い。

※3 ムチン

 ムチンは動物の粘液を構成する糖タンパク質の総称であり、消化管における微生物の感染防御、あるいは共生に重要な働きをもつことが知られている。ヒトでは、約20種類のムチン遺伝子が報告されており、粘膜表面に分泌されてゲルを形成するタイプをゲル形成ムチンと呼ぶ。

※4糖鎖

 タンパク質を構成するアミノ酸に結合した糖の総称である。ムチンの糖鎖は、プロリン・セリン・スレオニンといった高頻度で含まれるアミノ酸の水酸基に結合するO結合型である。

 

 

広報・取材に関するお問い合わせ:media@oist.jp

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