ソーシャル・ディスタンシングの経験を探る

コロナ禍において社会的孤立がもたらす見えざる損失を解明しようと研究者たちが挑んでいます。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが拡大するにつれ、世界各国でロックダウン(都市封鎖)が発令され、市民生活に大きな混乱が生じています。家族や友人にハグをすることや、直接会って話をすることさえ制限されるなど、通常の社会組織は分裂してしまいました。

この度、国際医学雑誌「ランセット」に掲載された見解論文で、沖縄科学技術大学院大学(OIST)のトム・フロース准教授と英国ブリストル大学のハビ・カレル教授、同ヨーク大学のマシュー・ラトクリフ教授は、このような制限に対する人々の経験について独自の哲学的知見を示しました。

前述の感染症対策は、当初は「ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)」という幅広い意味を持つ言葉でひとくくりにされていました。しかし、物理的に人と一緒にいることは避けるべきですが、社会的なつながりを保つことはこれまで以上に重要になっているとして、世界保健機関(WHO)は3月末から「フィジカル・ディスタンシング(物理的距離)」という新しい用語を提唱しています。しかしながら、「社会的距離」が大衆の心理から消え去ることはありませんでした。OISTの身体性認知科学ユニットを率いるフロース准教授は、そこには人間の本能に関わる明確な理由があると考えています。

「物理的にその場にいて行う相互作用には一定の豊かさがありますが、それは真の社会的経験に特有なものだと考えます。重要なのは、他者の存在が身体化されているという点です。相互作用は触覚、嗅覚、聴覚、視覚を組み合わせた複数の感覚を通して行われるマルチモーダルなものですが、このような相互作用はインターネット上では決して再現できません」とフロース准教授は説明します。

マスクの着用や他者との物理的距離を保つことなど、OISTの社会的距離のルールを指し示すトム・フロース准教授。一部の国では、現在もロックダウンを含むより厳格な措置が取られている。

身体化認知において相互作用とは、単に個人の頭に情報を入力することではなく、脳を超えて環境にまで拡張する頭脳に必要不可欠な要素です。ランセット誌に掲載された論文の中でフロース准教授らは、大切な人との強い絆や、他人や隣人との薄いつながりといった社会的相互作用の重要性、および相互作用の喪失が人間に与える影響について論じています。

「私たちの生活は常に社会的な関わりであふれています。普段はそのことを意識せず、当たり前だと思っていますが、今回のパンデミックによって、日常生活の中にある他者とのあらゆる関わりに気づき、その関わりを無しに生きることがいかに難しいかを痛感したのです」とフロース准教授は話します。

身体化認知理論は、数十年前から主流の認知理論の脇に存在していましたが、テクノロジーの発展によって心の本質の理解が進み、最近注目を集めています。今では、2人の人間の脳を同時にスキャンすることが可能で、社会的相互作用の最中は心拍数や呼吸数だけでなく、脳波も互いに同期することがわかっています。

「真の社会的相互作用を経験するとき、私たちの身体は互いに共鳴します。私たちは文字通り『波長が合っている』のです」とフロース准教授は説明しました。

これまでの多くの研究で、同期した脳波が私たちの意識的な思考や感情を変化させることが示唆されており、人間の経験の本質は、これまでに考えられていたよりもはるかに社会的なものであることが示されています。それゆえ、私たちにとって社会的距離を保つことは難しく、さらに精神の健康に悪影響を及ぼしている可能性があるとフロース准教授は考えます。

ランセット誌上で、フロース准教授らは、人間の経験と意識に関する哲学的研究である現象学に基づいたアンケートを紹介しています。調査の目的は、世界中の人々に自分のストーリーを共有してもらい、自身の経験を体系的に振り返ってもらうことで、社会的距離の措置が自分自身や他者、そして周りの世界を経験する方法をどのように変えたかを調べることです。

アンケートは英語、スペイン語、日本語で実施し、7月末日まで回答を受け付けている。アクセスはこちらから。

「これまでにわかった重要なポイントの一つは、人々がオンラインのビデオチャットにどのように反応してきたかということで、実際にはかなりの負担になっているようです。オンラインテクノロジーは便利なツールですが、人同士の直接的なコミュニケーションに取って代わるものと考えるべきではないということがわかります。」とフロース准教授は説明します。

フロース准教授はまた、社会的距離が与える影響の経験が文化によって異なるかどうかについても関心を持っています。

「ランセット誌の記事で人々の経験や影響を論じたとき、それは筆者の個人的な視点で、それゆえ欧州中心の視点で書かれたことになります。しかし、私たちは、より集団主義的な社会で育った人々や、より外向的な文化の人々にも同じ影響があるかどうかを検証したいと考えています」とフロース准教授は話しました。

「最終的に本調査は、人々のメンタルヘルスなど、パンデミックのより個人的な側面について貴重な知見を提供できると考えています。人々がどのように影響を受け、何が最も重要で、何が最も困難だと感じるのかを理解することができれば、より対処しやすく効果的な社会的距離および隔離措置を可能にする、今後の政策づくりに役立てることができるかもしれません。」

広報・取材に関するお問い合わせ
報道関係者専用問い合わせフォーム

シェア: