科学で探る心の性質

心の本質を探求し、社会への応用を目指す研究チームを紹介。

心とは何でしょうか。何千年にもわたって、哲学者や宗教家、科学者たちがこの問いに対する答えを見つけようと試みてきました。しかし、いまだに心の性質は解明されていません。認知科学の世界で20世紀半ばに注目を集めたのが、心の計算理論と呼ばれるものです。心は切り離されたコンピュータであり、脳が環境から情報の入力を受け取り、その情報を処理して、特定の行動や相互作用をデータとして出力するという理論です。

沖縄科学技術大学院大学(OIST)に新設された身体性認知科学ユニットを率いるトム・フロース准教授は、この心の計算理論に異議を唱えます。准教授の研究チームは、心は脳だけに基づくのではなく、身体や環境にまで拡張するという身体性認知理論の研究をしています。

「身体性認知では、相互作用が鍵となります。相互作用は単に心の産物であるだけでなく、脳と身体、環境内のその他の行為主体の間で起こる、心の根本的な要素なのです」とフロース准教授は説明します。

OIST身体性認知科学ユニットを主宰するトム・フロース准教授。

身体性認知における相互作用の重要性こそが、フロース准教授を最初にこの理論に引き込んだものでした。

認知がもし身体に基づくことなく、心は脳内で起こることに限定されるというのであれば、社会的相互作用であふれる私たちの人生もすべて、単なる神経活動ということになると准教授は論じます。思考実験で極端に言うならば、人間のすべての経験は、水槽の中に入れた脳に高度なスーパーコンピュータから情報の入力を行えばできるということになります。

「私にとってこれが意味するものはとても不快に思えます。現実の社会的相互作用は非常に重要だと思うのです。」とフロース准教授は話します。「現段階で、心がどう機能するかを実験で証明することは誰にもできていません。したがって、心という、この中立的な空間で、より納得のいく身体性認知理論をテストした方がいいと思うのです。」

行為主体性の重要性

身体性認知理論の妥当性を裏付けうる証拠の一つは、積極的な関与(行為主体性)が、心が環境を近くする能力など、新しいことを学ぶのを手助けしているかどうか、ということです。

OIST身体性認知科学ユニットでは、巨大なロボットアームと小さな感覚代行デバイスを用いた革新的なセットアップで、それをテストしようとしています。まず知覚タスクに積極的に関与している被験者の手の動きと触覚を記録し、次に受動的にタスクを行っている被験者に同じ動きと触覚を再現します。

腕の動きの記録・再現が可能なロボットアームを持つフロース准教授(左の写真)と振動によって被験者が障害物を「見る」ことができる小型の感覚代行デバイス(右の写真)。

「腕の動きと感覚の正確な関係性を維持することで、行為主体性なしにタスクを正確に再現するという、これまでになかった実験です。行為主体性を持たない個人の方が知覚が劣るという結果になれば、それは積極的な関与(水槽の中で、身体とつながっていない身体に基づかないの脳にはできないこと)が全体の認知に重要であるということを示し、身体性認知理論を裏付けることになります。」とフロース准教授は説明します。

精神疾患を相互作用障がいとして診断

心の機能を実験的に証明する試みは、私たちの日常生活に全く関係のないことに聞こえるかもしれませんが、実は統合失調症などの精神疾患の診断など、現実世界への応用が実際にできるものなのです。

フロース准教授は次のように説明しています。「これまで、統合失調症は幻覚などの症状および緊張病性行動によって定義されてきました。しかし現在では、他者と交流する時に自然にできない、社会的相互作用の問題に原因があると考えられるようになりつつあります。実際に一部の統合失調症の人は、非身体性の感覚、つまり、自分の身体はロボットのようにただ情報を受け取るだけで、外部から操作されているように感じると報告しています。」

「これらの報告から、私たちの研究ユニットでは、認知を切り離されたコンピュータとして見る主流の理論は、間違っている可能性があるだけでなく、実は病態を説明するものなのではないかと考えています。」

フロース准教授はドイツのハイデルベルク大学と協働して、統合失調症の人の相互作用についてさらに情報収集にあたっています。ハイデルベルク大学の研究者たちは「知覚交差パラダイム」という実験を用いて統合失調症の人のテストを行っており、フロース准教授はこの実験を応用しました。

知覚交差パラダイムは仮想現実を用いたゲームで、人間が他者との真の相互作用に従事しているとき、どれだけ感覚器官で感知できるかを調べる実験です。

「知覚交差パラダイム」実験を実演するフロース准教授。この仮想現実のゲームでは、被験者は振動を頼りに、静止物、移動物体、別のプレーヤー(人間)の仮想アバターと相互作用する。

これまでの実験で、フロース准教授は、被験者が他のプレーヤーの動きと仮想物体の動きを区別できることを発見しました。つまり、人間は単に他の物体の存在や動きに気づくのではなく、他のプレーヤーとの相互性に敏感であるということがわかったのです。また、被験者は数秒ほどのズレで、ほぼ同時に互いを認識する傾向があることもわかりました。

「これらの結果は、二人のプレーヤーの心をつなぐ、ある種の大規模な神経統合が存在する可能性を示唆しています。これから統合失調症の人の場合は異なる結果になるかどうかを見ていくわけですが、疾患に新たな洞察をもたらすことができるかもしれないと期待しています。」とフロース准教授は話しました。

この目的のために、准教授はベルギーのルーヴァン・カトリック大学の研究者たちと協働して、思春期に知覚交差実験に参加した人たちの長期的な調査を行い、後に精神疾患を発症する人がいるかどうかの追跡調査を実施する予定です。

「過去の実験結果を振り返って見ることで、元の相互作用のデータセットに微妙な違いを発見でき、疾患の早期発見システムとして利用できるようになることを期待します。」とフロース准教授は話しました。

人工知能の死

身体性認知理論は社会に大きくプラスの影響を与える一方で、フロース准教授個人にとってはマイナスな面が一つあります。それは人工知能の中に人間の心を複製するという夢が消えることです。

「もともとはゲームに使用するために、より高性能で高度な知性を持った人工知能を開発したいと思っていたのですが、すぐに、人間はまだ心をきちんと理解していないことに気づき、認知科学の分野に転向しました。そして身体性認知への理解を得た今、真の理解には生命が必要不可欠で基本的な要素であると感じるようになりました。」とフロース准教授は述べています。

ロボットのような無生物とは違い、生きた体は生存のために常に活動していなければなりません。その存在は不安定で、常に消滅の可能性にさらされています。フロース准教授は、この存在のための絶え間ない苦労が、物事に注意する心の発達に不可欠であり、心が思考や理解を発達させることを可能にしていると考えています。

「ロボットや人工知能は理解を模倣するのは得意ですが、これは錯覚にすぎません。簡単に騙され、あらかじめ設定された厳格なルールを超えて適応することはできないのです。成功と失敗をもたらす生命というものがなければ、何も意味を持たないのです。だから人間と同じように真に理解する人工知能というのは夢物語です。」とフロース准教授は説明します

人間の心を複製するためではなく、人間の心に力を与えるために人工知能を活用する、ヒューマンマシンインターフェースにこそ未来があるとフロース准教授は考えます。

「これまでに世界を変え、真に変革を起こしたテクノロジーを見てみると、人工知能を自律的に機能させようとして生まれたものではなく、インターネットやパソコン、スマートフォンなどの発明とともに起こったものだということがわかります。つまり、テクノロジーが人間同士が相互作用する、そのやり方を大きく変えたのです。

広報・取材に関するお問い合わせ:media@oist.jp

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