太平洋と大西洋を往復:(あまりにも)挑戦に満ちた研究人生

「データベース検索や読書だけでなく、自分なりに考えなさい。」OISTでの勤務を終える丸山一郎教授から若手研究者へのアドバイスです。

太平洋と大西洋を往復:(あまりにも)挑戦に満ちた研究人生

丸山一郎教授は、2005年より沖縄科学技術大学院大学(OIST)の情報処理生物学ユニットを率いてきました。OIST着任前は、ケンブリッジからカリフォルニア、そしてシンガポールへと渡り、世界各地で細胞生物学研究をし、研究者として大成してきました。そして2022年11月、丸山教授はOISTを退職し、家族の住む米国サンディエゴに戻ることになりました。

丸山一郎教授
OISTでの勤務最後の週にオフィスで撮影。
OISTでの勤務最後の週にオフィスで撮影。

丸山教授は、英国ケンブリッジのMRC分子遺伝学ユニット、南カリフォルニアのスクリプス研究所細胞生物学部門、バイオポリスのシンガポール国立ゲノム研究所、そしてOISTという世界の研究所4か所の創設メンバーとして科学界の多くの定説に挑戦してきました。

1983年、丸山教授はケンブリッジにあるMRC分子生物学研究所に博士研究員として勤務するため、東京からヒースロー空港へと旅立ちました。このとき、研究人生において初めての障害に突き当たりました。

「搭乗直前に北海道付近でソ連が大韓航空機を撃墜する事件が起きたのです。私たちの飛行機は、航路を変更して、アラスカ経由で北極上空を通過し、ロンドンに到着しました。生後8か月の娘を連れて、20時間以上もかかりました。」

MRC分子生物学研究所では、多細胞生物の生殖細胞における遺伝子増幅の発見に至りました。これは、現在でも珍しい研究成果です。丸山教授は、ノーベル賞受賞者でOISTの創設者の一人でもあるシドニー・ブレナー教授と研究を行いました。その後、ブレナー教授がケンブリッジでMRC分子遺伝学ユニットを立ち上げた際に、丸山教授はその唯一のメンバーとなりました。

「実験台、棚、各種機器など、あらゆるものを買いそろえるところから始めました。ラムダファージを用いてファージ表面にタンパク質を提示するベクター(媒介体)を開発し、外来タンパク質を発現させることに成功しました。また、このベクターを使って歴史上初めて単一分子を観察することに成功しました。」

丸山一郎教授とシドニー・ブレナー教授
ケンブリッジ時代の丸山一郎教授(中央左)とシドニー・ブレナー教授(中央右)。
ケンブリッジ時代の丸山一郎教授(中央左)とシドニー・ブレナー教授(中央右)。

若き丸山研究員の研究グループは、神経細胞同士の相互作用について調べるため、非常に重要な遺伝子のクローニングを行い、その塩基配列を決定しました。しかし、この方法は手間がかかるため、後に次世代ゲノムシーケンスに取って代わられた、と現在の丸山教授は述べています。一方、この論文は、丸山教授の人生にとって特別なものでした。それは、丸山弘子さんが共著者の一人だったということです。弘子さんは、丸山教授の妻となり、研究と人生の両面において重要なパートナーとなりました。

1991年、丸山教授は大西洋を横断して南カリフォルニアのサンディエゴに移り、スクリプス研究所細胞生物学部門の創設メンバーとして細胞表面受容体の活性化機構モデルに挑戦しました。

その後、今度は太平洋を横断してカリフォルニアからアジアに戻り、シンガポールのバイオポリスでシンガポール国立ゲノム研究所の創設メンバーとして3年間務めた後、沖縄に来てOISTの創設メンバーとなりました。

「OISTのことは、すでにシドニー・ブレナー博士から聞いていました。実をいうと、ブレナー博士は、私が学長候補に相応しいのではないかとおっしゃったのです。でも私は、『いえ、学長に相応しいのはあなたの方です』と伝え、彼は納得してくれました。これが、私がOISTにできた最大の貢献だと思っています。(笑)」

※シドニー・ブレナー博士は、2005年から2011年までOISTの前身である沖縄科学技術研究基盤準備機構の機構長を務めた。

丸山教授は、2005年にOISTの前身である沖縄科学技術研究基盤準備機構で情報処理生物学ユニットを立ち上げ、環境の変化や細胞間相互作用などの外界情報が分子レベルでどのように処理されるかを研究してきました。この研究室では、近年は細菌、培養動物細胞、非常に小さな虫である線虫などのさまざまなモデルを使って研究を行ってきました。線虫の神経系は非常に単純であるため、分子・細胞レベルでの処理機構の解析を効率的に行うことができます。研究チームは、線虫で得られた研究結果をマウスなどの複雑な生物から得られた結果と比較することで、ヒトの脳における情報処理メカニズムの解明に貢献することを目指しています。それによって、ヒトのさまざまな病気の解明や治療薬の開発に貢献することが期待されます。

線虫の入ったシャーレを手にする丸山一郎教授。
線虫の入ったシャーレを手にする丸山一郎教授。
線虫の入ったシャーレを手にする丸山一郎教授。

丸山教授は、退職してサンディエゴに移りますが、OISTとの共同研究を今後も継続することを望んでいます。

若手研究者へのアドバイスを求められると、丸山教授は次のように答えました。「新しい知識を発見するのは、たいてい若い人たちです。学生はエネルギーに満ちているからだ、と言う人も多いですが、実際のところは、学生は知識や経験がないために、自分なりの考え方をするからではないかと思います。大きなブレイクスルーをもたらすのは、それしかありません。ですから、私はいつも学生たちにデータベース検索や読書だけでなく、自分なりに考えなさいと言っています。また、専門家でも間違えることはあるということを忘れないでください。」

その他のメディア

丸山教授の研究を、OISTのサイエンスライターが朝日新聞GLOBE+で紹介しています:健康的に年をとるには? 科学者は線虫のゲノムに潜む秘密に迫る

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