訃報:沖縄科学技術研究基盤整備機構初代理事長 シドニー・ブレナー博士

OISTは、沖縄科学技術研究基盤整備機構初代理事長(2005年〜2011年)シドニー・ブレナー博士のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

Sydney Brenner

 沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、OISTの前身である沖縄科学技術研究基盤整備機構初代理事長(2005年〜2011年)シドニー・ブレナー博士のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。ブレナー博士は、ご自宅のあるシンガポールで4月5日に逝去されました。92歳でした。

 2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したブレナー博士は、世界最高水準の教育研究を行うOISTの創設において、重要な役割を果たしました。2017年には、日本政府よりその功績を称えられ、旭日大綬章を受章されています。

 ブレナー博士は、技術革新の価値について強い信念を持ち、かつてこうおっしゃっていました。「科学の進歩は、重要な順番に、新技術、新発見、そして新たなアイデアにかかっています。イノベーションは未知のものへの挑戦からのみ生まれます。そして、創造性とは、間違ったことを言うことを恐れないということです。」

 OISTマリンゲノミックスユニットを率いる佐藤矩行教授は、「ブレナー博士がいらっしゃらなかったら今のOISTのゲノム研究成果の数々は生まれなかった。非常に暖かい人柄で、研究を理解しサポートしてくれた。」とブレナー博士について語っています。

 ブレナー博士は、1927年、南アフリカで生まれました。ウィットウォーターズランド大学で解剖学および生理学修士学位を首席で卒業し、オックスフォード大学にて博士号取得。1979年から英国ケンブリッジの医学研究機構分子生物学研究所所長を務めました。その後1996年に米国カリフォルニアにて分子科学研究所を設立しました。

 博士は、遺伝学および分子生物学の分野で輝かしい研究を率いました。 1960年代初頭、メッセンジャーRNAの存在を共同発見し、mRNAのヌクレオチド配列がタンパク質中のアミノ酸の順序を決定することを証明しました。この発見により、1971年に、医学研究において優れた功績があった人物に与えられる、ラスカー基礎医学研究賞を受賞しました。また、線虫(C. elegans)を遺伝学、神経生物学および発生生物学分野におけるモデル生物として確立したことで2002年、ロバート・ホロビッツ博士とジョン・サルトン博士と共にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

 2005年、独立行政法人沖縄科学技術研究基盤準備機構の理事長の職に就き、現在のOISTの設立に向けて2011年10月までの期間、組織を率いました。

 OIST学長ピーター・グルース博士は、「ブレナー博士は、多くの人に偲ばれ、深く人々の記憶に残るでしょう。」と述べました。

広報・取材に関するお問い合わせ:media@oist.jp

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