空白の時に刻まれた情報

“音の空白”に関わる神経細胞が、種に特有の音声発達に関係することが明らかになりました

 概要 

   ヒトの赤ちゃんが言語を発達させるように、歌を学習するトリ、ソングバードも成鳥の歌を聴いて真似することで歌を学習します。この時、ヒトの赤ちゃんが様々な音の中からヒトの声を聴き分けるように、雛鳥たちも自分の種の歌を聞分けて、これを学習します。

   沖縄科学技術大学院大学(OIST)臨界期の神経メカニズム研究ユニットの荒木亮研究員、杉山(矢崎)陽子准教授と構造物性相関研究ユニットのマヘッシュ・バンディ准教授は、このたび、ソングバードの一種であるキンカチョウ(注1)の歌の中の‘空白の時’に種の特異性の情報をコードしていることを発見しました。また、雛鳥の脳内には空白の長さを識別して反応する神経細胞が生まれつき存在し、これが自分の種の歌を学習するために必要なことが明らかになりました。

   この研究成果は、長らく未解明だった、トリがどの様に自分の種の歌を識別しているのか、という神経機構を明らかにするだけでなく、情報処理における情報のコードの仕方などにも新たな知見をもたらすことが期待されます。

   本研究成果は、米国の科学雑誌サイエンス(Science誌に掲載されました。

 研究の背景と経緯 

   音や光といった刺激は、耳や目といった末梢の感覚器で受け取られ、脳へと伝わります。脳内ではその刺激に含まれる必要な情報が識別、解読されることで、刺激の中から様々な情報を得ることが出来ます。

   ヒトの赤ちゃんが周囲の大人たちが話す言葉を聴き、真似ることで言語を発達させるように、歌を唄うトリ、ソングバードは発達期に親鳥の歌を聴き、真似することで歌を学習します。この時、ヒトの赤ちゃんが多くの音の中から言語に関わらずヒトの声を聴き分け、これを真似て言語を発達させるように、ソングバードのヒナも他種の鳥の歌を含む様々な音を聴くにも関わらず、自身の種の歌を識別し、これを学習します。今回の実験に使用したソングバードの一種であるキンカチョウは、個体ごとに違う歌を唄うことが知られていますが、それでも雛鳥は「キンカチョウの歌」を選択的に学習することが知られています。しかし、これまでキンカチョウのヒナの脳内で、どの様に「キンカチョウの歌」という情報が解読されているのかは、明らかになっていませんでした。

   そこで今回、荒木亮研究員と杉山(矢崎)陽子准教授という2名の神経科学者とマヘッシュ・バンディ准教授という物理学者が、分野の垣根を越えた共同研究によりこの問題に取り組みました。チームは神経科学の枠組みの中で、統計物理学的に必要な条件を満たすような実験を共にデザインしました。

 研究内容 

   研究チームはまず、キンカチョウのヒナを、近縁種であるジュウシマツの仮親に育てさせました。通常、キンカチョウのヒナはキンカチョウの歌を選択的に学習しますが、生まれてすぐにジュウシマツの巣の中に移し、ジュウシマツの歌しか聞こえない状態で飼育すると、ジュウシマツの歌を学習することが知られていました。しかし、今回研究チームはジュウシマツの歌の要素は学習しても歌のテンポは学習せず、キンカチョウの歌のテンポにジュウシマツの歌の要素を重ねていることを発見しました。そこでこの歌のテンポは生まれつき備わっているものと考え、歌のテンポがキンカチョウの脳内でどの様に‘解読’されているのか調べてみました。この時、特にこれまで人工的なノイズとトリの歌を聴覚経路の中で最初に区別できるようになる脳内領域であると知られていた第一次聴覚野(Field L)に注目しました。その結果、キンカチョウの第一次聴覚野に、音の構造に関係なく、そのテンポ、特に短い音と音の間の空白に特異的に反応する‘テンポ細胞’が存在することが発見されました。この細胞は、長すぎる音や短すぎる音、長すぎる空白や短すぎる空白には反応せず、ある範囲の長さにある音と空白に反応していることが分かりました。そしてこのテンポ細胞が良く反応する音と空白の長さは、キンカチョウの歌によくある音の要素、その間の空白の長さと一致していることが分かりました。さらに、このテンポ細胞の特性は生育環境に依存せず、生まれながらに決定していることが分かりました。実際に、キンカチョウのヒナのテンポ細胞は他の種の歌には反応せず、さらにキンカチョウの歌でもその空白の長さを長くしてしまうだけで反応しなくなってしまうことから、キンカチョウのヒナの脳内ではこのテンポ細胞が、「キンカチョウの歌」を検出するバーコードリーダーとして機能し、様々な個々に固有のキンカチョウの歌を検出し、これを学習するのに役立っていることが考えられました。

 今回の研究成果のインパクト・今後の展開 

   数十年前にアメリカのベル研究所(注2)で、「音と音の間の空白の長さを検出する」という方法が限られた電話回線を有効利用するために開発されました。驚くことに今回の研究から、キンカチョウの脳内にも同じシステム(音の空白を検出すること)が組み込まれていることが発見されました。杉山(矢崎)准教授は、「また、キンカチョウの歌ではこの空白の長さに『種の特異性』という情報が生まれながらにしてコードされていることが明らかになりました。これは『空白に情報をコードする』という新しい概念を生み出します。」と成果を強調します。これまで音のテンポをコードする細胞はラットやマーモセットなど他の動物の第一次聴覚野で見つかっていましたが、キンカチョウでは空白のテンポをコードしていることが明らかになりました。ヒトとソングバードは様々な長さの音を組み合わせる複雑な音声を発達させてきましたが、それゆえに音のテンポでなく、より安定的な空白の長さをコードするように進化したことが考えられます。今後は、どのように空白の長さを検出し、コードするのか、進化の過程でどのように獲得したのかといった、生物学的、神経科学的研究が進んでいくことが期待できます。

 さらに、キンカチョウのヒナが親鳥から歌を聴いて学習する際は、他のキンカチョウと違う歌であり、かつ、キンカチョウの歌という枠組みの中に納まる必要があります。今回の研究によりキンカチョウは歌という信号の中の「音の形態」と「音の空白のテンポパターン」という二つの要素にそれぞれの情報を組み込み、脳内の独立する二つの回路がそれぞれ処理することにより、一つの信号の中にある、異なる(しかも競合する)情報を解読していることを見出しました。空白の長さに情報をコードしたり、ひとつの信号のOnとOffに異なる情報をコードするという方法は、コンピュータのコードのなかでゼロの長さで情報をコードするといった考えのように情報処理分野へも新たな考察をもたらすことが期待されます。

 用語説明 

注1 キンカチョウ:

 キンカチョウ(スズメ目カエデチョウ科)は、オスのみがそのオス固有の歌をさえずることで知られている。さえずることのみに特化された脳内歌制御中枢を備えており、私たちヒトと同様学習によって発声を習得するため、ヒトの脳の働きを理解するための研究に適した実験動物として用いられている。2013年にオスの全ゲノム解読が報告されている。

注2 ベル研究所:

 ベル・システム社が1920年代に設立した研究所であり、「物理学の基礎を築いた」といわれるほど、科学基礎研究にも力を入れ、ノーベル賞受賞者を何人か輩出した。トランジスタ、マイクロウェーブ、レーザー、光通信、携帯電話のセルラー方式、通信衛星などの技術は同研究所から生まれた。